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生産者紹介


 

30年以上無農薬の農地で梅栽培をしている山本農園さんをご紹介します。

山本農園の山本康雄さんは、1986年以降30年以上にわたって農薬、化学肥料を使わず梅栽培をしておられます。現在に至るまでのご苦労とその人となりを取材してきました。

 

山本康雄さん 1963年生れ 滋賀県立短期大学(現・滋賀県立大学)農学部卒業後、就農。

       紀州みなべ梅干生産者協議会 副会長

和歌山県日高郡みなべ町は、「南高梅」発祥の地で、隣町の田辺町とともに「みなべ・田辺の梅システム」が2015年には国連食糧農業機関(FAO)の「世界農業遺産」に認定されました。

紀州梅ブランド発祥の地であり生産の中心地です。

 

有吉佐和子著「複合汚染」に感銘する

山本さんは、梅・みかん農家の長男として生まれ、小6の時に事故で父親を亡くされたこともあって、大学卒業後、すぐに家業を継ぎました。20歳の山本さんは、従来の慣行農法を引き継いで農業人生をスタートさせたのですが、ある日、有機農法について勉強している親友をきっかけに今までの農法に疑問を持ち始めました。そして、有吉佐和子著「複合汚染」に感銘を受け慈光会 梁瀬義亮医師(「複合汚染」の中で「昭和の華岡青洲」と紹介される)と久門太郎兵衛師(有機農業、自然農法の先駆者)に師事し、有機農業への転換を志しました。

奇しくもアースファミリーでは、創業以来入社にあたっては正社員、パートを問わず面接時には「複合汚染」の感想文を提出していただいています。この著書が何か絆のような深いご縁を感じました。


当時、梅農家6500軒といわれる中で3軒だけの有機栽培

生来、正義感が強く、経済的なことは無頓着とも言える性格であった山本さんは、直ちに無農薬、無化学肥料による梅栽培の実践を開始します。22歳の時です。

最初の1年目は意外にも順調な収穫を得ました。2年目も大きな問題は起きません。3年目となり、収穫に問題が発生してきました。黒星病(菌害)が大きく目立ってきたのです。そして、4年目には、ほとんど商品にはならない状態になってしまいました。

時は「梅バブル」というような時代で、周囲からは、親切心から農薬を使った従来のやり方に変えるよう忠告される始末です。また、当時は有機栽培に特別な価値を認めてもらえる時代ではなく、

無農薬、有機にこだわる理由を理解してもらえませんでした。

5年目となり、ついに梅農家としての収入は無くなりました。その時、山本さんは二人の子供をかかえて、大きな試練を迎えることになりました。


昔ながらの農法を学び始める

1年目、2年目は問題なく収穫できたのは何故だろうと考えると、今まで使用してきた農薬が残留していて、その農薬効果ではなかったのだろうか。3年もすると木にも土にも農薬の影響がなくなり、病気が蔓延したのではないかと考えました。そうだとすれば、ここからが始まりだ。農薬の無かった時代の農法に帰ればいい。昔の農法を研究してみようと、骨粉、菜種、油かす、魚粉、乾血と様々なものを使い、独自に研究していきました。その中で、病気が発現する時期、サイクルなどが分かってきました。黒星病は5月に発症する。菌が着き発現するまでが1ヵ月。その間を狙ってイオウにより病気を抑えることができる。施肥の適時は、地中温度が20℃になる春分と秋分あたり良い。また、独自に有機肥料を作ることや、除草にも緑肥としても有効なヘアリベッチ(マメ科植物)を農地に蒔くなど有機農法を確立していきました。

そして、ついに農薬、化学肥料を使わない梅づくりを志して11年目にして、慣行農法と同じレベルの収量を生み出すことに成功しました。今では、慣行農法の農家でもヘアベリッチの播種により春の除草の手間がかからなくなったと感謝されています。


自分は「父の徳」「産地の徳」に生かされている

33歳の時、新たな飛躍をもたらす転機を迎えます。梅農家として安定してやっていけるまでになったのも突然現れた「ある人」から学ぶことができたからだと山本さんは言います。

「根が養分を吸収する仕組みを知っているか」「植物がどのように生きているかを意識せよ」

新たな学びが始まりました。中学校で勉強する化学から始めました。新たな視点から観察を続けました。山本さんは言います。「冬の木を見れば、自分がいつ手を抜いたか、失敗をしたかが分かります。私にとって冬は反省の季節です。」

突然現れた「ある方」は、山本さんが有機栽培に苦労していると聞いて訪ねて来たとのことでした。

その理由は、昔、山本さんの父親が、農繁期にその方が怪我をして作業ができなくなってしまった時、肩代わりをして助けてくれた恩があるからだと言うのです。それを聞いて、「父親の徳に助けられてきた。」と実感。そして、「産地の徳にも助けられてきた。」と気づかされました。

みなべの地域には、明治時代には人々の中傷を受けながらも梅畑を開墾した内本孝右エ門、梅の事業化により郷土発展のきっかけを作った内中源蔵、そして、昭和に入り、南高梅の開発に尽力した高田貞楠、小山貞一など多くの先人いて、その方々の苦労と徳が今の自分を支えてくれている。「自分ひとりで成し得たことなど何ひとつもないと心から思えます。」「これからは、若い人たちのために恩返しとして何ができるかを考えていくことが一番大切なことです。」と真剣に語る言葉が印象的でした。

今回は山本農園・山本康雄さんにお会いしました。書ききれないほどの多くのお話を聞かせていただき、書ききれない深い内容ばかりでした。経済的にも困窮され、アルバイトで凌いできたこともあったそうです。しかし、誠実に情熱的にお話を聞かせてくれる中で「苦労しました。」「大変でした。」という言葉は一度も聞くことはありませんでした。





 

「みなべ・田辺地域世界農業遺産推進協議会パンフレットより」


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